2018年9月24日月曜日

今、ここ、わたし

 「『今、ここ、わたし』、動物はこれしかありません。でもチンパンジーは『数』が認識できますから自分以外の数、人間が何人チンパンジーが何人いるかが分かるのです」。これは9月17日京都大学百周年時計台記念館で行われた「KUIAS(クイアス)京都大学高等研究院」のシンポジュームでの霊長類学者松沢哲郎教授のことばである。KUIASは次世代の育成と国内外の卓越した研究者の英知集結につなげるために、京都大学の強みを生かして最先端研究を展開するために2016年に設立された機関である。特別教授には森重文(代数幾何学)、松沢哲郎(霊長類学)、本庶祐(分子免疫学)、北川進(無機化学)、金出武雄(人工知能、ロボット工学)、平岡裕章(トポロジカルデータ解析)の各分野で最高位に位置する6教授が就任しており、今回のシンポは「科学の世界を、語り合おう」をテーマに高校生(一部中学生)や一般市民を対象に科学の最先端を解り易く説くと共に生徒や一般人の素朴な疑問に答え、語り合おうという試みであった。
 
 冒頭の松沢教授の言葉は当日私が一番印象的に感じたものでこれこそ「人間と動物=獣」を分ける根本的な差ではないかと思った。獣には過去も未来もない、今しかないであろうことは容易に想像できる。今いるここ、が認識できるだけで獲物を追いかけたり巣にかえるとき、移動する「ここ」の連続として場所を知覚しているのだろう。そして最も人間と異なるのは、自分と自分でないもの――敵か味方かの認識しかないことだろう。ところが人間は時間認識があるから過去現在未来という歴史認識がある。今いるここ、あそこ、目に見えない場所の空間認識もあるから「ロヒンギャの難民」といわれればミャンマーに存在するロヒンギャという民族を認識することも可能である。結局人間と獣の差は「多様性」を重層的に認識できるところにあって、あなた、かれ、かのじょ、かれらを認識することで『寛容さ』がもてることが人間の本質になっているのではないか。それは社会生活を営むうえでどうしても身につけなければならない素養であって人類の発達の過程で必然的に身につけた能力になったにちがいない。
 しかしいま、人類は獣との根本的な差異である「寛容さ」を忘れかけている。グローバリズムで繁栄を享受してきた「先進国の特権」が減少・消滅して発展途上国の進出に脅かされている、それが「白人至上主義」の跋扈や「難民迫害」というかたちになって世界中が「不寛容」に満ち満ちている。我国の現状をみても、自分と家族にしか目がとどかず、他人との関わりを拒絶しちょっとしたことで諍(いさか)いを繰り返し、平気で「差別」し思いやりを忘れている。先人たちの苦労をしのぶこともなく、未来の子ども・孫の世代を思いやる細心さも失くしている。
 これでは人間と獣の差はどこにあるというのだろう。
 
 もうひとつ意表をつかれたのは北川教授の「二酸化炭素の資源化」という提言であった。北川教授の専門は活性炭素に代表される多孔性配位高分子という分野で、新物質の発明が目覚ましい方である。二酸化炭素は気候温暖化の元凶とみられて悪者扱いされているが炭素は炭素繊維に応用されて注目を浴びているように重要な資源のひとつであることが忘れられている。二酸化炭素の処理方法として地中埋設貯留が考えられているがコストと埋設候補地との政治折衝などを考慮すればその実現可能性には疑問符をつけざるを得ないのが現状だ。そこで発想転換して二酸化炭素の資源化を考えるべきだというのが北川教授の提案である。そうした視点で見直すと二酸化炭素は「インヴィジブル ゴールド(見えざる黄金資源)」になる。
 不勉強のせいでこうした発想がなかったがマスコミも二酸化炭素を悪者扱いするばかりで資源化についてはほとんど報道がなかったように思う。しかし我国ではすでに「二酸化炭素の資源化を通じた炭素循環社会モデル構築促進事業」を環境省が中心になって促進していて賢明な人たちはするべきことはきちんとおこなっていてくれるのだ。しかし北川教授のことばは私の地球温暖化に対する見方を180度転換してくれた。
 
 本庶祐教授は数年前から注目を集めている「ガンの免疫療法」に道を開いた研究者である。ペニシリンは感染症を不治の病から治る病気に大転換させたが本庶教授の発見した「PD-1」はオプジーボなどの免疫療法薬の開発をもたらしガンを治る病気に近づけた。ペニシリンのアレクサンダー・フレミング博士がノーベル賞を受賞したのだから本庶教授がノーベル賞の栄誉に浴する日もそう遠くないにちがいない。
 
 松沢教授はこんなことも云っていた。「先生のアイちゃん(教授の研究対象)は天才なのですか」という質問に「いえ、だれでもアイちゃんと同じことができます」と答えてさらにこんなことばを付け加えた。「失敗することは少なくありませんがそこであきらめたら終わりです。私の教え方が悪いと考えて工夫をつづけていけば必ずういい結果につながります」。 
 最近アマチュア・スポーツ界の不祥事が続発しているがそのほとんどが「パワハラ・暴力」事件だ。コーチの暴力指導が横行、それを是として受け入れる土壌が教える側にも指導される選手や保護者にも存在するのが我国の現状である。テニスの全米オープン優勝の大坂選手のサーシャコーチの指導を「大坂選手は世界レベルの実力だからサーシャコーチのような優しく諭すコーチも可能だが、初心者レベルの選手にはある程度の力の指導もやもうえない」などという言説がさも当を得たもののように云われているがその人たちはこの松沢教授とチンパンジーの関係をどう捉えるのだろうか。
 
 このシンポの準備の周到さは素晴しいものだった。教授たちの生い立ち、研究の成果、発見発明の契機について要領よく動画で示されるから前勉強をしていかなくても教授たちの話についていけるし、女性アナウンサーと共に司会役を務めたサイエンスナビゲーターの桜井進氏の適切な解説もあり科学オンチの私にも十分興味を持って参加することができた。
 
 会場前列に約150名の高校生が招待されていたがその真剣なまなざしには感動さえ覚えた。この催しが彼らの科学心に火をつける力になれば喜ばしいのだが。
 それにくらべて半数以上を占めていた高齢者(特に男性)の参加姿勢は決して褒められるものではなかった。暗転するや否や居眠りし出す輩や一部が終わった休憩時間に早々に帰路につく何十人かの年寄り連中の無礼さは恥ずかしいものだった。彼らは単なる無料の暇つぶしとしてこのシンポを考えていたのだろうか。世界一流の教授が六人も同時に揃うなど稀有な機会だというその貴重さを知らない浅墓さが情けない。
 
 若者のひたむきさが嬉しかった。
 
 
 

2018年9月17日月曜日

蕪村の「秋」を読む

 たった一夜で秋が来た、そんな急激な季節移りが台風21号の去ったあとの感じである。でもこの冷ややかさは一時のもので必ずブリ返しはある。暑さ寒さも彼岸まで、この古諺は毎年正しかったではないか。
 
 岩波文庫『蕪村俳句集(尾形仂校注)』の「秋」の句を楽しむ。
 
 舎利(しゃり)となる身の朝起(あさおき)や草の露
 秋の句でいちばん心打たれた句である。老妻に先立たれたひとり暮らしの老人なのだろう。老いのつねで早暁に目覚めて手水を使おうと井戸端へ向いながらキラリと光る草を見た。草に宿る露である。つい昨日まで暑苦しかったのにいつの間にか秋が来ていたのか…。舎利という語に老人の孤独が感じられる。
 さびしさのうれしくも有り秋の暮
 限りある命のひまや秋の暮
 秋の寂しさ。しかしそんな感懐を抱くようになったのもここ数年のこと。道端の草花の美しさ、早朝の公園で鳥の鳴き声を知ったのも停年してしばらく経ってからのこと。もう何年の命かは分からないけれどそれまでの老いの道程(みちのり)――老いることにも楽しさがある。
 
 鵯(ひえどり)のこぼし去りぬる実の赤き
 御園(みその)守()る翁が庭やとうがらし
 うつくしや野分の後のとうがらし
 秋は紅葉、という今なら定番の美的意識とは異なり蕪村の秋の句には「とうがらし」が多い。鵯の句の黒い土に真っ赤な実――とうがらしか南天か――が鮮明に映る。野分の句もそうで、嵐が去って畑の具合を確かめに出てみると薙ぎ倒された作物の草色のなかに真っ赤なとうがらしが際立っている。御園守という漢字と翁の字面が古びを表すなかでとうがらしの色があざやかに浮かんでくる。
 
 迷ひ子を呼(よべ)ばうちやむきぬた哉
 (きぬた)は洗濯したを生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、をのばすための道具―いわばアイロン代わりである秋の夜なべにあちこちの家からトントンと砧を叩く音がひびいてくる。突然、暗くなっても帰ってこない子どもを探す親の呼び声がひびく。サッと砧の音が止んでシーッンと一瞬静寂(しじま)が闇夜を覆い、そして子どもの名を呼ぶ声が澄明に響き渡る。秋の冷ややかさが肌に伝わる句である。
 
 蕪村の句には滑稽味有る句も少なくない。 
 猪の狸寝入やしかの恋
 戸をたゝく狸と秋をおしみけり
 猪―の句には「獣を三ッ集めて発句せよといへるに」という前書きがある。数人の仲間と戯れ句を楽しんでいる風情が実感できる句会の様子。猪と鹿は花札遊びの「いのしか蝶」にあるように昔は一緒の並びで使われることが多かったがそれに狸を加えての三匹でおかし味をかもした蕪村の手練(てだ)れがたのしい句である。戸をたたく―の方も実際はどうだったか確かではないが狸が出没するのは珍しくなかったから、戸を開こうとしてカリカリと引っ掻いたり後足で蹴破ろうとしたこともあったかもしれない。現実ではなく、秋を惜しみながら月を愛でているうちに絵にある薄(すすき)と徳利と月と狸の図柄を思い出してこんな句をつくったのかもしれない。
 
 妻も子も寺で物くふ野分かな
 打(うち)よりて後住(ごじゅう)ほしがる寺の秋
 台風21号の被害は甚大だったが被害を受けた人たちは避難所に避難している。昔も同様だったのだろう、小学校の代わりに村で一番頑丈なお寺の本堂が避難所として使われたにちがいない。吹き荒ぶ嵐の音のなかで妻子が夜の飯を食べているのだろう。
 打よりて―の方は後住(後釜の住職のこと)を誰にしようか、どこから連れてくるべきかを相談している村役たちの姿…。台風のセイか高齢かははっきりしないが先の住職の亡くなった後を補充しなければならない村の年寄り達の議論している薄暗い寺の本堂のローソクの灯りと人の暗い影がいかにも秋を思わせる侘しさである。
 
 俳句を完成した芭蕉の後継者としての位置づけで深化と熟度の達成を担った蕪村の句は、李杜と並び称される漢詩の杜甫同様に難解さを読み手に強いる。杜甫の使用した漢字が李白のそれより五百字以上多いように蕪村の句は和歌や故事、先達の俳句の引用が多く鑑賞は難しい。それでありながら現在に通じる新しさ――「俳詩」の斬新さのような一面もあり、玩味に富む豊かな作品に魅せられた一巻である。
 
 
 
 
 
 

2018年9月10日月曜日

仕事について


 経団連が2021年に卒業する学生から現在採用されている「新卒一括採用」の「就活ルール」を廃止する考えのあることを表明した。これについては今後論議が尽されるだろうがそれとは別に「仕事・就職」についての本質的な検討が一向に深まらないことに違和感を抱いている。なぜなら「仕事・就職」というものが彼らの時代になれば今とは相当異なったものになっている可能性が高いのにそうした問題意識がほとんど表面化していないことに疑問を抱いているからだ。たった3年先のことだがこの3年で起るであろう変化は可なり激しいように思えるのだが。
 
 我々の時代と比べて大きな変化は四つある。①グロバリゼーション②100才時代と少子化③AI時代④自然災害の過酷化がそれで④を除いてそれぞれが関連し合っている。
 象徴的な現象が昨年打ち出された3メガバンクの人員削減方針である。みずほ銀行の1万9千人を筆頭に3行合わせて約3万4千人をこの先10年ほどの間に削減するという。現在の在職人数は約17万人であるからおよそ2割に当る人員削減はAIを活用した業務変革によるもので、グローバリゼーションによる金融業の国際競争激化に対応するためである。業務合理化は少子化による労働者数激減から金融業に限らずあらゆる業界で早急に対応しなければならなくなっている。AIや機械化による職業の置き換わり(職業消滅)の最もショッキングな数字は2013年オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授が発表した、こんご10~20年で47%の仕事が機械に取って変わられるというものだろう。今ある職業のおよそ半分が機械に置き換わるうえにグローバリゼーションは単純作業を中心に賃金の安い発展途上国に移し変えられる可能性が高いから、職業消滅の危機はさらに広範囲に及ぶと覚悟しておく必要がある。
 どんな職業が奪われるのかを週刊ダイヤモンドの特集(米国の上位15位)によると次のようになっている。1.小売販売店員、2.会計士、3.一般事務員、4.セールスマン、5.一般秘書、6.飲食カウンター接客係、7.商店レジ打ち係やキップ販売員、8.箱詰め降ろしなどの作業員、9.帳簿係などの金融取引記録保全員、10.大型トラック・ローリー車の運転手、11.コールセンター案内係、12.乗用車・タクシー・バンの運転手、13.中央官庁職員など上級公務員、14.調理人(料理人の下で働く人)、15.ビル管理人。
 アメリカと我国では職業意識が異なるからこのまま日本に当てはめることははばかられるが、会計士や上級公務員が含まれていることはこれまでの単純作業だけを対象とする考え方を改めなければならないことを教えている。
 グローバリゼーションとAI化だけでも「仕事・就職」を取り巻く環境が激変することを予見させる。
 
 100才時代は仕事(観)にどんな影響を及ぼすだろうか。我々の時代―人生60年で「教育・仕事・引退」の3ステージを生きることが当然とされた時代は大きく変わらざるを得ないだろう。今でも定年65才か70才が求められているがそこで留まらず75才80才までも引退時期が引き延ばされることは確実だ。しかもグローバリゼーションは企業と商品の消長を激しく、短期化することも明らかな傾向だから、「いい学校に入って、いい会社に勤めて」ひとつの会社で勤め終えるということは稀有なケースになるのはまちがいない。仕事のステージ(期間)が2、3のステージに分かれて会社や職種を移り変わり、しかも企業という範囲に限らずNPOであったり、短期中期の大学(院)での学び直しが入り込むこともあろう。加えて引退後の生活を充実させるための「健康」「趣味」「生涯学習」への備えもこのステージに必要な要素となると考えた方がいい。
 「新卒一括採用」で最初の勤務会社がその後の人生を決定づける、という考え方はほとんど用を成さない時代だという認識が最も重要な変化であろう。
 このことは今のように、大学は入学すれば卒業できるという固定観念を改めさせられることにもつながる。卒業が保障されているから勉強そっちのけでアルバイトや部活を主体にして3年の春からは就活にいそしんで、就職が決まれば残された期間に旅行や遊びを楽しむ、といった学生生活を根本的に見直さねければならなくなるだろう。学生時代は学業を通じて今後の人生を生き抜くための「物の見方考え方」と「技術」を身に付ける重要な時間になるであろうし、そのためには4年間はすべて学業に費やすことが当然になりさらに2年間修士課程に進む学生も増えるにちがいない。
 そうなれば3年の春から就活などというルールは意味を成さなくなるのは当たり前になってくる。
 
 最後に「自然災害の過酷化」であるが今回の台風21号の被害を見れば、そしてここ数年の台風、豪雨、地震の有り様を考えれば、一旦災害に見舞われたら被害は甚大にならざるを得ないと覚悟する必要がある。今回の関西空港の被害は関西経済への影響ばかりでなく日本経済のGDPにさえマイナス影響があるかもしれないほど甚大な被害をもたらす可能性さえある。それは企業への短期的な影響だけでなく企業消滅もあるかもしれない。自然災害とその過酷化は「めったにないこと」ではなく「いつでも・どこでも」起りうるものとして人生設計しなければならないのかもしれない。
 
 経団連の「就活ルール」廃止の一石は単に21年度卒業生への影響だけでなく、多くの若い人たち―これからの人も含めて―に「仕事・就職」に対する考え方に変更を迫るものとして捉えることが必要だ。そして最も確実なことは、大学生活が根本的に変わらざるを得なくなる、ということだろう。
 
 P・F・ドラッカーは「将来についてわかっている唯一のことは、今とは違うということだ」といい、「未来を語る前に、今の現実を知らなければならない。現実からしかスタートできないからである」ともいい「すでに起こった未来は、体系的に見つけることができる」と教えている。
 すでに起った未来を、今の現実から導き出す『賢明さ』がないとこれからの時代は生きていけない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2018年9月3日月曜日

老いの棲家

 常連だったFさんが亡くなった。弟さんがわざわざ報せに来てくださったのはそれだけFさんがこの喫茶店を心に留めていたからだろう。四国の老人ホームへ行ってからも月に何回か女店主に電話してきていたという、耳が極端に聞き難くなっていたFさんはこっちの云うことを無視して云いたいことだけを云って電話を切るという一方通行の電話だったらしい。
 Fさんと親しくなったのは彼が私が西陣にいた頃の隣の学区の出身だということが分かってからで、千本のあそこの蕎麦が旨かったとか映画館が十軒ほどあったとか話題が合って会話が弾んだ。「終戦後スグに、チンチン電車が堀川へ脱線したの覚えたはりますか」という問いに、「ワシ、そのとき堀川の派出所の臨時警官してたから苦労したで」とFさんが答えたのには驚かされた。チンチン電車というのは明治初頭の京都近代化事業の一つとして敷設された北野神社から京都駅までの市電北野線のことで中立売通(東西)から堀川通(南北)へ九十度転回するときに堀川の鉄橋を渡らなければならない設計になっていた。乗っていると足下で車輪と軌道がキシンで「キーキー」と悲鳴を上げるような音を上げるのが怖かったものだ。終戦直後、酔っ払った進駐軍の兵士が運転してスピードオーバーで曲がり切れずに堀川に脱線するという事件があり大騒動になった。死者も何人か出たその事故の収拾にFさんが関係していたというのだから驚いたのだが、「臨時警官」という職務に戦後の混乱がうかがえる。
 そんなFさんが三年ほど前、急に四国へ転居することになった。娘さんの嫁ぎ先が四国で、娘さん宅近くの老人ホームに彼ら夫婦で入所するという。九十才を超えてからの転居は彼の望むところではなかったが、四五年前奥さんがケガをしてから足腰が悪くなり食べることからなにやかやと面倒を見なければならなくなっていたことから不承不承娘さんの申出に同意したようだ。高齢にもかかわらず自転車で買い物も医者通いもこなし、市の敬老パスで祭りやグルメを楽しんでいたから自由を奪われるにちがいない老人ホーム暮らしは本当にイヤだったと思う。シャイで湿っぽいことの嫌いだったFさんは送別会を開く暇もないままに四国へいってしまった。
 行ってしばらく頻繁に喫茶店に電話してきたのは環境の変化に馴染めず寂しかったにちがいない。それでも人づきあいの上手なFさんは間もなくホームに馴れたがこちらに居たときのように気ままに外出することは叶わず、なじみの店もないから出歩くことがなくなり、半年足らずで車椅子のお世話になるようになった。それから二年ほどで亡くなってしまった。
 
 常連さんでもうひとり、Nさんにも親しくしてもらった。初対面のとき「お勤めは…」と訊ねられて「若い頃は広告会社にいました」と答えると「D通ですか、H堂のような会社ですか?」と重ねられて「H堂です」と答えると、ホーッというような表情で親しみを込めた様子に変わった。豪放磊落でちょっと上から目線に誤解をされるもの言いのせいで芯から馴染める相客のいなかったNさんと昵懇になったのは、ふたり共女主人のことを「Y子さん」と名前で呼ぶことも影響したかも知れない。ママさんと呼ぶには余りに水商売ズレしていない彼女にどう呼びかけていいか躊躇っていたのだが、「Y子さん」がスンナリとはまって、以来Y子さんで通してきたがNさんもY子さん派でママさんとは呼んでいなかった。
 Nさんは左京の高級住宅街でお屋敷の御曹司として生まれ京大農学部を出てI商事へ入社。中国で相当大きな事業を展開した後、行政や民間企業相手に経済コンサルタントとして活躍した。かなりやんちゃで我儘な生活ぶりだったようで家族は苦労されたようだ。彼の奥さんがH堂の中興の祖と呼ばれた社長と縁続きの方で、それもあって仲良くしていただいた面もあったのだが、晩年は民間アパートの閑居でひとり住まいのまま孤独死であった。
 
 FさんもNさんも尊敬できる先輩であったが人生の終え方は決して満足のいくものでなかったのではないか。Fさんはあのまま桂に住まって自転車で、敬老パスで好き勝ってを決め込んでいたら今でも矍鑠としていたにちがいない。兎に角好奇心旺盛でまめに動き回っていた、台所仕事も掃除洗濯も苦にするところがなかった。九十才を超えてから同様な生活ぶりが行えたかどうかは分からないが、ホームへ入って外出が思うにまかせなくなって運動不足で足腰が衰えたのは明らかだ。グルメのFさんが食の愉しみを奪われたことも生きる気力を萎えさせたかもしれない。
 Nさんは晩年家族関係が破綻して独居を余儀なくされ経済的にも恵まれなかった。アパートで転倒して骨折したとき、助けを求められ住まいの様子を窺ったが不如意なたたづまいだった。結局そのまま快癒せず逝ってしまったわけだが「老いの弱さ」をさらすのをためらったダンディズムがかえってわざわいを招いたのは皮肉としかいい様がない。
 
 齢だからといって仕事を奪ったり、住み慣れた家を移ったりすることが「老い」にとって過分な負担になることを若いうちは理解できない。叔父が晩年、広い家の六畳の部屋だけで生活し、堀コタツに座ったままで手の届く範囲に生活用品を配置していたのを思い出すと、家の景色、部屋のたたづまい、亡き人生きている人とのつながり、そんなものすべてが記憶のパッチワークのようになって老人は「生き」ているのにちがいない。最低の経済的基盤は不可欠だが「地つづき、意識つづき」の「継続した生」の断絶が老いにとって最大の危険因子なのだということを知ってほしい。
 
 コミュニティで認められること、老いても他人とのつながりが実感できること、そして大きな声でしゃべること。これが長生きの秘訣。喫茶店T・Bが常連の女性たちの命を永らえていることはまちがいない。
 

2018年8月27日月曜日

人生というステージ

 第100回の全国高校野球選手権大会(全国高等学校野球選手権記念大会)は史上初の2度目の春夏連覇という偉業を達成した優勝校の大阪桐蔭よりも、敗れた準優勝校金足農高フィーバーが大きすぎて優勝校の栄誉がかすんでしまった。それほど金足農(秋田県立金足農業高等学校)の戦いぶりは鮮烈であった。準々決勝で地元(滋賀は京滋と称されるように準地元という意識がある)の近江が劇的な9回裏ツーラン・スクイズで敗れたときにも「これでいいのだ…」とどこかで思っている自分がいた。そしてなぜか2013年ひいきの巨人が楽天に敗れたときの日本シリーズを思っていた。球団創設以来9年間茨の道を歩んできた楽天イーグルスが、2011年「3.11東北大震災」の復興にあえいでいたこの時期に東北唯一のホームチーム楽天が日本一になることは「東北の人たち」にとってこの上ない「はげみ―希望」になる、「今年だけは勝たなくていい」そう思ってみていたこの年の「日本シリーズ」だった。
 1回戦から700球を超えて投げ続けていた金足農の吉田輝星投手に決勝を投げきるだけの余力はなく、完膚なきまでに打ちのめした大阪桐蔭は立派だった。その勝利は偉業であるにもかかわらずなぜ金足農のまえに色褪せてしまったのか。
 
 私の好きなテレビ番組にMBS毎日放送の「学校へ行こッ!」がある。関西のお笑いタレントたむらけんじが関西の高校の特色あるクラブ活動や校風をルポする番組で、今の若者の生き生きした学校生活を通じて安心を得、彼らを応援していこうという希望を与えてくれる。100回を超える放送をはじめから見ていて最近感じるのは、高校がふたつに分かれていることだ。当然のことだが進学を主とした普通校と職業教育を目指す「専門高校」のふたつである。そしてここ一二年の画面から伝わってくるのは「専門高校」生たちの明るさだ。少し前に放送された私立進学校の生徒たちへの「この夏休みにしたいこと」というアンケートに「花火をしたい」と答えた女生徒や年間の学業休みが正月の三ケ日しかなく、受験勉強に専念して恋愛も受験以外の読書も志望校合格までは「禁止」という学校生活に黙々と従っている彼らに「可哀そう」と思うと同時になぜか「うしろめたさ」も感じていた。一方で、専門高校―たとえば金足農とおなじ農業高校の生徒たちの米作や酪農に対する熱い思いをもって着々と人生へ踏み出していこうとしている「笑顔」に、逞しさと確かな希望を感じる。
 「いい学校」へいって「いい会社」に就職して、という熱情に衝き動かされて「単線」の人生コースに誰もが邁進してきた「戦後70年」。「いい学校」は必然的に就職に有利な「国公立」や「有名私立」への入学が「勲章」となり「学校の序列化」をもたらし、「広域学区制」は公立校の「地域性」を『脱色』して生徒たちを地域から「浮き上がらせる」もとになってしまっている。私立のスポーツ部は全国的なスカウト活動で「プロ化」が当然として「おとな達」に受け入れられている。こんなことではいけない、という危機感はおとな達にもあるのだが、将来を考えたらできるだけ子どもに「不利」な条件を与えたくない、との思いから「これまで通り」の「安全コース」へ子どもを導いている。そんなおとなの考えを子どもに押し付けている「負い目」をおとな達はどこかに抱いている。
 金足農の大健闘はこうしたおとな達のこころの底に潜む「負い目」や「罪悪感」を見事に『解放』してくれた。「農業専門高校」で「地域密着」した高校で、選手たちは幼いころから共に戦ってきた「仲間」たちだ。しかも金足農は就農率が90%を超えるという。今の学校制度の「歪み」をすべて「引き受けた」高校が見事に「準優勝」してくれたのだ。「ガンバレ!」と応援したくなるのは当然で、嬉しい「金足農」の躍進だったのだ。
 
 ところで「専門高校」とはどんな存在なのだろうか。高等学校における職業教育を行う学校と位置づけられて、農業、工業、商業、水産、家庭、看護、情報、福祉などの職業に関する教育が行われている。平成29年5月現在約60万人の生徒が就学しておりこれは高等学校の生徒数全体の18.4%を占めている。専門高校は、有為な職業人を多数育成するとともに、望ましい勤労観・職業観の育成や豊かな感性や創造性を養う総合的な人間教育の場としても大きな役割を果たしています、と文科省のホームページに紹介してある。
 最も感性が柔軟性に富み鋭い高校という時期に、人間的な交わりも恋愛も「拒絶」して、先達の残してくれた「人類の遺産―古典」に接する好機も生かさずに、ひたすら「受験技能」の修得に全生活を賭けるような高校時代が果たして彼等彼女等の人生にとって「有意義」な結果をもたらすだろうか。
 それは、否、だろう。昨今の政治家や高級官僚たちの振舞いは「受験技能」のもたらす「否定的な側面」をいやというほど強烈に印象づけてしまった。また有名企業がぞくぞくと「不正会計」や「不正検査」の事実を暴かれている報道は、企業社会でも「受験技能」でトップ層を占めていたであろう経営上層部の人たちは社会人となってから、誤った判断を人倫に恥じることなく下してしまう「想像力」も「創造力」もない人間に成り果ててしまうことを教えている。
 
 この夏もうひとつ「一服の清涼剤」を与えてくれたのは「不明2歳児救出」の尾畑春夫さん78歳だった。彼は魚屋さんとして現役時代を終えた後、人生の後半期をボランティアとして貢献することに身を尽くしてきた。その経験が今回の救出劇に生かされ、300人体制の公的捜索活動の鼻を明かした。
 
 尾畑さんの生き方や金足農の躍進はこれまでの常識的な生き方に「反省」を促しているように感じる。「教育―仕事―引退」という3ステージで人生を区切る生き方を当然として受け入れてきたこれまで。しかし100歳までの生命が相当な確率で実現化してきた現在、「いい学校、いい会社」では人生は終わらない。残りの30年40年も人生設計に組み入れておかないと充実した生き方ができない時代を迎えている。残りの30年40年は社会的地位も企業社会での役職も意味を成さない「人間力」勝負のステージだし、当分はモデルがないから自分なりの新しい生き方をつくりだす「想像力」「創造力」が必要とされるステージになる。そのためには人生で最も吸収力の旺盛な「青春時代」をいかに過ごすかに成否がかかっている。
 
 「単線」の「3ステージ」の生き方から解放されて、多様でいくつものステージを生きていく人生を、今から模索していかなければならない。金足農と尾畑さんはそう教えてくれているように思う。
 
 
 
 

2018年8月20日月曜日

自分流

 今年の暑さは酷(ひど)かった。連日40度近い酷暑で「生命に危険を及ぼすほどの猛暑」と気象関係者が度々警告を発した。そして、エアコン(クーラー)を昼夜の別なくフル稼働させて「熱中症」の危険を避けてください、との要請を重ねた。
 しかし、私は、今年は比較的「過しやすかった」と感じている。少なくとも台風13号が去るまでは。
 
 桂地区に転居して驚いたことはクーラーの必要性をほとんど感じないことだった。桂離宮の南、桂川のスグ側のI型の狭いマンションは東西のベランダのマドやガラス戸を空き放てば風通しが極めて良く、風さえあればほとんどクーラーなしで過せたから、転居初年度は一年で十日もクーラーをつけることはなかった。勿論西陣の築百年近い「うなぎの寝床」の町家の風通しが余りに劣悪だったことも事実なのだが。
 年を経るごとにエアコンの必要性は増していったが、それは気候の猛暑化とともに加齢による体温調節機能の低下もあってのことで、とりわけ後者の影響が大きいように思う。発汗作用の不調にそれを強く感じる。肉体的な差異もあるから妻との暑さ、不快さの感じ方に大分差があることに気づいて、調整のために「湿度計付き温度計」を購入して「数値的」に「エアコン起動点」をはじきだそうと試みた。その結果、「室温30度、湿度60%」を稼動不稼動の分かれ目に設定した。もちろん、風通しの良し悪しも影響してくるから、たとえ30度を超えて32度近くても湿度が55%のときはそれほど不快を感じないし、反対に無風で湿度が65%もあるときは室温が27度でも不快指数は100になる。ここ数年気づいたのは、ベランダのコンクリート外壁の「蓄熱」と「照り返し」の激しいことで外壁とベランダのガラス窓(戸)―これが異常に熱くてとくにサッシは触れることのできないほど熱くなっている―にホースで散水すると一気に涼しさが増すことだ。それに「男の特権」で裸になって濡れタオルで体を拭えば気化熱の体温低下作用が働いて扇風機の風だけで十分に「涼」を味わえる。などなど、自分流の「暑さ対策」でここ数年を過してきた。
 その伝で今年の暑さを検証してみると「湿度60%」を超えた日は、7月初旬に2、3日あった以降は台風13号がくるまでほとんどなかった。13号が過ぎてからは太平洋高気圧が「定位置」に座ったせいか60%超えの日がつづいている。ホースの散水、東西のベランダを解放して風通しをよくし、濡れタオルで体を拭って扇風機を活用する、などの工夫を尽した結果、クーラーを使用したのはお昼時の1時間半ほどと夕食の炊事時からの2時間ほど、そして就寝前の1時間。これが最大の使用時間でこれ以内で済む日も少なくなかった。テレビで「生命に危険を及ぼすほど」と何度も報じられた一ヶ月、エアコンは常時使用して熱中症を避けてくださいと警告されていた期間を、わが家はこんな風に過した。
 
 先の「西日本豪雨―平成30年豪雨」の際の「避難指示」に対する一般市民の反応の「にぶさ」が報じられたときにも感じたのだが、気象庁の警告―会見―が余りにも「一方的」「概括的」で「上から」指令、指示であることだ。わが家も「避難指示」が出されたのだがあとで分かったのは、山側の地区の土砂崩れを対象とした「避難指示」であったということで、桂川の水位は2013年の台風18号による渡月橋の大規模浸水被害の時よりも低位で済んだらしい。全国どこでもそうだろうが、地区別の気象警報、注意報にリアル感が伴っていない。いまはインターネットが進歩、普及しているのだから、詳細な地区別の警報、注意報をネットで広報できるようにすることはさほど困難ではないはずだ。警報、注意報が出された場合にインターネットにアクセスすれば地区の詳細な内容が見られるような「情報システム」をつくる、細分化された地区別の情報が、バーチャルな画面で示すようにすることも可能なはずだ。市区町村の「ハザードマップ」が作成される際にはそうした情報を基にしているから情報自体は存在しているはずで、一般に公開するのが今すぐには間に合わないのなら、地区の行政や消防団には公開するようにして、そこから宣伝カーや地域放送で情報伝達すればよい。
 
 一般市民は詳細を知る必要はない、専門家の分析に従えば良い。そんな「上から」姿勢が「気象情報」の伝達・公開にも見え隠れしている。専門知識・情報を素人にも分かるように「情報システム」を設計して、情報に「リアルさ」を与えなければ、いくら警報や指示を出しても一般市民に「現実感」をもって伝わらないことを行政・専門機関は知るべきだ。
 同様のことは今回の「理稀(よしき)ちゃん」行方不明騒動でもあった。公的な捜索機関は「マニュアル」に従って捜索していたのだろうが、素人のボランティア男性の「経験則」が僅か一時間足らずで発見したことで問題点が浮き彫りになった。
 
 今の世の中は「マニュアル」時代である。ファミレスの接客マナーからテロ対策、原発の緊急時対応までマニュアルは完備されているにちがいない。しかしどんなマニュアルも、ある時点での知見がベースになって作られているから放置しておけば「陳腐化」してしまう。絶えず現場の変化を反映させる作業が欠かせない。にもかかわらず現実は硬直化して使い物にならなくなっている例が少なくないのではないか。
 
 電力不足が喧しく叫ばれ国を上げて「節電」に努めたのはつい数年前のことだ。それにもかかわらず、一旦「生命に危険を及ぼす」猛暑になれば「節電」はどこかに吹っ飛んでしまっている。相反する「ふたつ」の目標をいかにすれば程よく調整できるか。それが「賢い人たち」の任務であり、そのために優れた人たちを選りすぐってお役所ができているはずだ。
 今までと同じ「マニュアル」ではこれからは対応できない。どんな仕事にも「想像力」と「創造力」が求められる時代になってきた。
 
 

2018年8月13日月曜日

突け!と言われた善さん、やれ!と言われた学生A

 色川武大に『善人ハム』という短編がある。
 東京下町の肉屋の善さんは一平卒には珍しく「金鵄勲章」を下賜されていた。甲種合格の模範兵は数度の召集にもかかわらず、その度にかすり傷ひとつ負うことなく帰還してきた。そんな彼でも怖いものがあった。夢だ。
 善さんは、拳骨を二つ並べて差し出すようにし、それをさらに前方に突きだした。「こういう夢――」「それは、何?」「突け、っていわれたんですよ」彼はもう一度、両拳を突きだす格好をした。「それであたしは夢中で突いちまったんだ。馬鹿だから」(略)「当時のいいかたでいえば、支那兵ね」「兵隊じゃない。普通の人ですよ。お百姓だ」(略)「命令だったんでしょ」「ですが、自分で何をしているか、わからなかったんです。その瞬間まで」(略)「――ああ、自分の一生は、これで終わったな、そう思いました。やってしまった瞬間にね。へへへ、どういうわけかそう思っちゃった。自分はもう、何もできないな、って」「忘れようったら、善さん」「戦争は終わるからいいよ。わたしだって昨日のことは片づけたいよ。ですがね、夢を見ちゃうんだ。夢はいけません。ずいぶん長く戦場を渡り歩きましたがね。鉄砲の弾丸(たま)ひとつ、射ったことだって、いちいち夢を見る。あたしゃ忘れてるんだけど、身体はちっとも忘れてくれないんだから――」
 焼け野原から徐々に復興が進むなかで善さんはバラックのまま、店を再開しようとしなかった。見兼ねた周りの友人たちが世話してくれるその日限りの賃仕事――庭に穴を掘ったり、商品をリヤカーで運んだり、といった仕事で糊口をしのいだ。決して、前向きに、積極的に生きることはしなかった。自分の一生は終わった、自分はもう、何もできない、という思いから抜けだすことは十年経ってもできないでいた。
 
 日大アメフト部悪質タックル事件の青年のお詫び会見をテレビで見ながら善さんを思い出していた。「突け!」と言われた善さん。「やれ!」と言われた学生A。「ああ、自分の一生は、これで終わったな」と思った善さん。「もうアメフトはできない」と悔いた学生A。
 善さんは十年以上経って、五十歳を過ぎてからようやく結婚し自分の仕事を始める。
 学生Aは会見をこんなことばで締めくくった。「最後に、本件はたとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身がやらない」という判断ができずに、指示に従って反則行為をしてしまったことが原因であり、その結果、相手選手に卑劣な行為でケガを負わせてしまったことについて、退場になった後から今まで思い悩み、反省してきました。そして、真実を明らかにすることが償いの第一歩だとして、決意して、この陳述書を書きました。相手選手、そのご家族、関西学院大学アメリカンフットボール部はもちろん、私の行為によって大きなご迷惑をおかけした関係者のみなさまにあらためて深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした彼が立ち直るために何年の歳月が費やされるのだろうか。
 
 日大アメフト部の今年度(2018)のリーグ戦復帰は許されなかった。厳しい関東学連の判断だが致し方ない、日大が提出した再建案では再発防止は万全とは言えないのだから。何故なら、学生の主体的意思と参加が見えない再建案になっているのだ。
 
 一連のマスコミの論調はおしなべて「学生がかわいそう」「学生は関係ないのだから、命令されただけだから」というものだった。このことばの裏には「おとなが悪い」「責任はおとな達にあるのであって、子どもには、学生には関係ない」という意味がある。
 それはちがう!学生Aはこう言っているではないか。「本件はたとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身がやらない」という判断ができずに、指示に従って反則行為をしてしまったことが原因」だと。たとえ、それを許さない「独裁的」な組織であったとしても、まちがったことは「やらない」と言える社会に変えないといけない。「もうアメフトはできない」という悔悟のことばを二度と言わせない国に変えなければならない、という覚悟の滲む会見をした学生Aのことばが生かされていない。
 
 まわりのおとな達は、アマチュア・ボクシング連盟でも、東京医科大学でも、柔道連盟でも、女子アマレスリングでも、森友学園・加計学園問題でも、防衛省でも、選手のことを、学生のことを、国民のことを、蔑(ないがし)ろにして、自分たちの利益や立場を守ることしか考えていないではないか。広島や長崎の原爆被爆者を悼む平和記念式典で、国連核兵器禁止条約締結を願う市長の「平和宣言」に「被爆国・日本」の総理は不参加の「言い訳」も「お詫び」も一切しなかったではないか。
 こんなおとな達が「学生がかわいそうだ」と言って、本当に学生を守れるのか!
 
 学生は関係ない、では、もうすまない、我国は、日本は、また善さんに「ああ、自分の一生は、これで終わったな」と言わせてしまう国なのだ。学生が、こどもが、おとな達と一緒になって社会をつくっていく、そんな国に変えていかなければ、こどももおとなも「不幸」になってしまう。そんな国になってしまったことを覚悟する必要がある。
 
 こどもがかわいそう、学生がかわいそう、というのならおとな達はきちんと責任を果す覚悟をもたなければならない。軽軽に「こどもが、学生がかわいそう」と言ってはいけない!そう強く思う。