2022年2月28日月曜日

コロナの功罪

  コロナに「功」などあるのかと訝る向きもあると思うのですがこれがあるのです。「高齢者の貧富の格差」が解消されたのです。若い人には想像できないでしょうが高齢者の格差は深刻で、なにしろ四十年、五十年の積み重ねですから、順風満帆、平穏無事ばかりではありません有為転変、波乱万丈の人生を送った人もあるわけで、また昭和という浮き沈みの激しい時代を経て来た世代が今の高齢者ですから「格差」は激しいのです。最低でも週一回の外食、年に二三回の旅行、そのうち三四年に一度は海外旅行、奥さんのショッピングは思いのまま、こんな富裕層もあるかと思えば月6万5千円の国民年金だけという人もいる、いや国民年金さえ満足に貰っていない人もいるのが現状です。ところがコロナの「強制自粛」は外食も旅行もショッピングもほとんどできなくなってしまって半径二キロ以内のテリトリーを自転車と歩きで生活するのが標準になってだれもが同程度の生活水準で我慢せざるをえなくなった――「コロナ禍の高齢者の生活」はほとんど『格差』がなくなってしまったのです。「毎日なにしてる」と無聊をかこつ贅沢三昧を謳歌していた知人からメールが届く事態が如実にそれを物語っています。

 

 コロナ禍の顕著な傾向として「シニア女性のスマホ普及急拡大」が報じられています。10年前はゼロだったのが今や9割超になろうかというのですからこれは驚異です。この勢いはコロナで加速されたようでスーパーなどのスマホ決済と動画の視聴、LINEなどSNSの利用増加が目立っているということです。我が妻もご多分に漏れず「コロナスマホ」のひとりで、娘たちとのLINEやスーパーのスマホ決済に加えて「ゲーム」をするようになったのは予想外でした。しかしもっとも彼女が恩恵に浴しているのは「かけ放題」で娘や姉妹との電話を毎日二時間三時間楽しんでいることでしょう。

 

 かくいう私も「スマホ人生」を満喫している「派」でいまやスマホなしでは過ごせないほどハマっています。私の場合一番は図書館です。これまでもHP(図書館のホームページ)で検索して近くの図書館で受け取るというサービスで随分読書生活が充実していたのですが、なんといっても読みたい本をメモしてPC(パソコン)のページを開くというテマが面倒でツイツイ見逃してしまうという弊がありました。それがスマホで即[HP→予約]ですからこれは有りがたい限りです。もうひとつ、メモ魔にとって即[メモ(アプリ)]は折角のヒラメキを無駄にすることなく保存できて「しまった!忘れた!」という後悔せずにすみますから結構なことです(ミュージシャンは浮かんだメロディや歌詞を音声録音するのが常識なようです)。今最もスマホの機能で感謝しているのは[YouTube→コンポスピーカー]でクラシックやジャズをコンポのスピーカーの上質な音で楽しめることです。それも「名演」が選べますからたまりません。これまで敷居の高かったオペラやアリアも自由に選べますから「自宅がコンサートホールの実感」は最高の毎日です。

 

 最近よく目にするのは「リアル市場」の制約を受けていた中小零細な生産者が「ネット市場」で脚光を浴びて業績を飛躍的に伸ばしたというサクセスストーリーです。インターネットの最大のメリットはこれかもしれません。螺鈿などの伝承技術や老舗菓舗の銘菓が廃業寸前で再生できることは文化の継承という意味でも貴重なことでまことに目出度い限りです。

 CF(クラウドファンディング)は最近悪用も多くなって心配な側面もありますが善用できれば有効なネット機能です。これについてはわが国の「寄付法制」の改革が伴えばもっとすそ野が広がっていくはずで、滞留している莫大な「余剰資金」――タンス預金や実質ゼロ金利で金融所得の枯渇にあえいでいる市民の預貯金など――が有効活用されれば経済の活性化にもつながるにちがいありません。政府や官僚は「株式市場」への資金誘導を企んできましたがわが国の株式市場はいつまでたっても「健全化」が実現できないできましたからいまだに一般市民は株式に手を出さずにきています。CF市場が健全な生長を示すことを祈るばかりです。

 

 コロナもあって何年も会っていなかった友人に久し振りに再会して驚かされるのは「考え方が異常に偏っている」ことです。高学歴でリベラルで柔軟な思想の持ち主と思っていた彼が非常に偏った読書をしているのを知って唖然とさせられました。聞くうちに彼が毎日2~3時間も「ネットサーフィン」しているというのです。「エコーチェンバー」というネット障害があります。AI(ネットの人工知能)が個人の趣味嗜好・思考傾向を読み取ってその傾向の情報を選択して送りつけることで個人を「偏向」させる現象です。多分彼は気づかないうちに「エコーチェンバー」に侵されたにちがいありません。もともと人間は「自分に都合のいい意見や考え方」を好む志向をもっています。SNSという「閉じられた空間」で仲間内だけで通用する言葉を使ったり考え方を共有して思考の柔軟性、多様性を失ってしまっている人々で社会が分断されています。

 

 溢れる大量の情報――これをいかに選択するか、ネット社会の最大の問題点です。解決方法はひとつ――「ネット遮断」、これしかありません。ネットにふれる時間を制限する、そして「瞑想」「思索」の時間を持つことです。朝起きてすぐスマホを開く、歩きながらもスマホが手放せない、仕事の途中でもLINEがくれば即返信、食事中もネット交信、ベッドに入ってもスマホで「おやすみ」。こんな生活をしていては「自分」が溶けてしまって当然です。

 

 全ての生活基盤がIT化された現在においてわれわれは国家と巨大IT企業――GAFAの二つの『権力』に管理されています。国家の『専制』は「民主主義」で辛うじて抵抗できる体制が築かれていますが、「GAFA」には彼らの恣しいままの『支配』を許してしまっています。

 ネット社会をわれわれのモノにするためには「GAFA」の『専制』を打ち砕く必要があります。

 

 われわれが対すべき『帝国』は、今や、GAFAです。

 

 

 

 

2022年2月21日月曜日

220兆円あれば今すぐ世界は平和になる

  ウクライナといえば「ヨーロッパの穀倉地帯。ソ連への穀物補給の重要地域。ロシアとは歴史的に深いつながりがある」、中学校の世界史教科書にそう書いてあったように覚えています。1950年代の教科書ですからその後冷戦が終結して旧ソ連領の多くが国民国家として独立しNATOに加入した、そう思っていましたから今になってロシアとNATO加入について紛争が起こっていると知って自分の勉強不足に恥じ入っています。

 NATOというのは「北大西洋条約機構」と訳されますがそれでは何がなんだかその実体が分からなくなって、ヨーロッパ諸国のうちの民主主義国家の経済的協力機関で軍事的な連携も保った組織でもあるかのように認識している人も多いかもしれませんが、れっきとした『軍事同盟』です。軍事同盟というからには「仮想敵国」が想定されているわけでNATO発足当時は紛れもなくそれは「ソ連」でした。その共産勢力の中核的存在であったソビエト社会主義共和国連邦が解体したにもかかわらずNATOが存続したことが不思議ですが、そしてそれを普通に受け入れていたのは、NATOが軍事同盟であることに「知らないフリ」をしていたからでしょう。

 ロシアとウクライナは歴史的に深いつながりがあり、ついたり離れたりがありましたがそれだけに両国とも親ロシア(ウクライナ)派も反ウクライナ(ロシア)派も混在しているにちがいありません。しかし「離反」「対立」は避けたいのが本音でしょう。ただし「プーチンのロシア」は嫌だ!というウクライナ人は相当多いかもしれません。今のゼレンスキー・ウクライナ大統領はポピュリストといわれていますから国民のうちにある「反プーチン」の高まりをついて「NATO参加」に踏み切る可能性はあるかもしれません。その辺の{危うさ」を懸念してプーチン氏は強硬手段に訴えようという「素振り」を装っている、いや実態はそんな生半可な悠長なものではなく緊迫していると捉えるのが「世界政治の常識」であり、世界はその方向に強く傾いているようです。

 

 世界には現在も10近い軍事同盟があります。旧ソ連のワルシャワ条約機構も形を変えて存続していますがNATOほど加盟国は多くありませんしその存在感もワルシャワ条約機構ほどではありません。そんな状況でロシアを仮想敵国と想定しているNATOにウクライナが参加するとなればロシアは穏やかでないでしょう。旧ソ連の同盟国であった国がいくつもNATOに加盟していますが、そしてロシアもそれを許容してきましたがウクライナの加盟はロシアの許容範囲を越えているのです。両国の国民感情も微妙なバランスに揺れているのでしょう。そんな複雑で微妙な問題を他国が自国の利害関係から介入することにプーチン・ロシアが反発するのにも一片の理屈を認めるという考え方もあり得ます。

 とにかくNATOは「対ロシア軍事同盟」なのです。

 

 冷戦解消後一挙に増加した自由主義陣営が21世紀に入って徐々に減少し2020年にはほぼ均衡(自由陣営92ヶ国対反自由陣営87ヶ国)する事態に至っています。勢力が均衡しているということは対立も激化する可能性が高まるということで2021年の世界の軍事費は220兆円(1兆9200億ドル)にも膨脹しています。一方世界の武器貿易額は1兆円(950億ドル2017年)という統計もあります。

 軍事費(2020年)の世界1位は米国で7780億ドル(約87兆円、世界の39%)、2位が中国で2520億ドル(13%)以下インド、ロシア、イギリスとつづいて日本は9位491億ドル(2.5%)、韓国は10位457億ドル(2.3%)となっています。

 武器輸出額は1位米国93.7億ドル(約1兆円、世界の37%)、2位ロシア32億ドル、3位フランス20億ドル(8.2%)以下ドイツ、中国、英国、とつづいて韓国は9位(2.7%)です。

 また世界の武器製造や軍事関連サービスの世界上位100社の2017年の売上高総額は約4000億ドル(約44兆円)と発表されています(勿論アメリカのロッキード社がナンバーワンでアメリカ企業で2255億ドル6割り近くを占めています)。

 

 カントは18世紀中頃、世界は戦争状態が通常であり平和は一時的な「休戦状態」に過ぎないと喝破しました。それ故「世界平和」は世界人類が究極の目標として絶えず「創り上げていくもの」であらねばならない、とある種の諦念の思いを込めて提言しています。それから300年近く経って、2回の世界大戦――無差別の全面戦争を経験したにもかかわらず、規模においても破壊力――殺人能力においても最悪の事態になっています。

 

 アメリカという国はほんの数年前まで「世界の警察国家」を自認して、自由と民主主義の盟主として君臨してきました。それでありながら世界最大の『死の商人』であり、アメリカの意に添わぬ国を「仮想敵国」に仕立てて世界最大の「常備軍」を保有しているのです。こんな裏表のある矛盾に満ちた国家を「世界の指導者」としていていいのでしょうか。制限のない競争をほしいままにして資本主義の蹂躙を許して世界中を「格差と分断」の状況に追い込んでもいます。

 われわれ自由主義陣営に属する国々の市民は、中国を、ロシアをそして専制主義的な権力が支配している国々を「世界平和」の『攪乱者』として一方的に『反平和勢力』と糾弾してきました。しかし、われわれ自由陣営は平和的に振舞ってきたでしょうか。アメリカという国は本当に信じていいのでしょうか。

 

 220兆円の軍事費1年分を世界の貧困対策に投入すれば明日にでも飢餓がなくなる可能性は100%あるといっていいはずです。戦争の究極の目的が世界制覇であり世界という「自国領土」の「無戦争状態」の『支配』であるとするなら、それは「暴力」による一時的な「世界平和」の達成に他ならないでしょう。そうであるなら考え方を180°転回して220兆円の軍事費の貧困対策という絵空事も決して「夢物語」ではないかもしれません。ただしカントは暴力による世界国家の実現よりも敵対する国家の並立状態の方がまだ望ましいと言っているのですが。

 

 いずれにしてもアメリカという国を無条件に信じて「盲従」していくことは決して賢明な策ではないことにそろそろ気づくべき時期になっています。

 

 

2022年2月14日月曜日

勤皇志士の哲学

  八十も超える歳になると浮世ばなれが嵩じて時々飛んでもないことを思うことがあります。発想の飛躍といえば聞こえはいいのですが他愛もない「妄想」にすぎません。先日も「天皇」ということばを考えていて「天子」と「皇帝」の合成語ではないかとフト思いついたのです。もしそうなら中国はもちろんのこと朝鮮だって気を悪くするでしょう、アジアの東端の小国の王に過ぎないくせに生意気な、と。その伝でいえば「中国」だって尊大極まりない呼称です、「世界の中心の国」というのですから。しかし中国は実際蒸気船が発達して欧米緒国が制海権を握るに至る18世紀後半までは世界最大の帝国――文化文明の先進国として、軍事的にも世界最強国として君臨していました。その中国(清)が夷(えびす)――粗野な蛮国、イギリスにアヘン戦争(1842年)でイトも簡単に敗けたのですからその衝撃は強烈で幕末の尊王攘夷運動を加速させたのはまちがいありません。

 

(以下は『現人神の創作者たち(山本七平著)』を要約したものです) 

 アヘン戦争の敗北以上にわが国の思想界に衝撃を与えたのは「大明国」の崩壊でした(1644年)。卑弥呼の時代から遣隋使、遣唐使の時代を経たのちも宋、元、明に朝貢し畏敬してきた中国――この「中華の国」が韃靼の国すなわち「畜類の国」に一変したのですから思想界は混乱しました。

 この混乱を収拾するために浮上したのが、「華・夷」とは文化的水準を意味する一般的基準乃至はその基準を基とした「先進・後進」ともいうべき基準にしようという考えです。この基準で計れば「日本=華、中国=夷」という場合ももちろんあり得ますから、「中国」乃至は「中国思想」を普遍的原理として日本を規定することで混乱を正そうというわけです。そしてこの考えに基づいて、日本的体制それ自体を「中朝」として絶対化する方向へとまず向かったのです。それを代表するものが山鹿素行の『中朝事実』ですがこの傾向は当時の日本の思想界のある意味で共通な認識となっていました(素行は中国と書いて日本と読ませるまでしました)。

 当時の官学は林家の主宰する「朱子学」でしたが朱子学が採用したのが「朱子の正統論」で、まず天皇の正統性が強調され、その天皇から将軍に宣下されたがゆえに徳川家は統治権を行使できる。これに対抗しようとするものは正統性を無視した叛逆者であり、従って徳川家に刃向かうものは叛逆者であるという論理です。では一体なぜ天皇家は正統性をもつのでしょうか。

 林羅山がこの問いに対して出してきたのが「天皇=中国人論」です。天皇は呉の泰伯の子孫、中国から下がってきたがゆえに「天孫」であり、「夷」である日本人を支配する正統性を保持しているというわけです。今では奇妙に聞こえるかもしれませんが、中国思想をもって統治思想とするのがその頃のわが国の考え方となっていたのですから、「華」が「夷」を支配するというこの説はすっきりしていたのです。

 

 徳川政権が落ち着いて日本の「正史」をつくろうとします。それを担ったのが水戸光圀率いる水戸の彰考館であり『大日本史』に結実します。そのときお手本にしたのが中国の正史といえる『資治通鑑』だったのですがここに思わぬ大きな落とし穴が潜んでいました、「将軍」なるものの位置づけができないのです。中国にはそんなものは存在しないからですが、さらに叛臣伝・逆臣伝ともなると幕府に忠誠で天皇に反抗した者(たとえば伊賀光季)の取り扱いなどが当然に問題になってきます。さらに正閏を論じると北朝を偽朝として足利氏を叛臣に入れれば現に存在する天皇家の正統性を否定し、幕府の統治権の根拠も否定されてしまうことになります。これを論理的につめていけば、「幕府の存在は非合法であり、日本の歴史はまちがっていた」という結論にならざるを得ず、これは「歴史の誤りを正す」という政治運動の温床となりうるのは明らかです。

 一方で「天皇の正統性を絶対化するなら、個人の規範はかくあらねばならず、その規範を守ったものは、たとえ非合法政権=幕府の法によって処刑されても正しい」という「個人の絶対的規範(グルント・ノルム)」が求められるようになるのも自然な流れで、それを提供したのが浅見絅斎(あさみけいさい)の『靖献遺言(せいけんいげん)』でこの書はまさに明治維新への突破口を開いた重要な書物になります。そして「ある種の規範を絶対化してそれを行動に移した者は、法で処断されても倫理的には立派である」を論証するような結果となったのが「赤穂浪士」でした。

 

 尊王攘夷を促したもう一つの書物が栗山潜鋒の『保建大記(ほうけんたいき)』で、天皇家から武家への政権の移行は天皇家の「失徳」によると論じました。「あるべき天皇像」として後白河や後醍醐が厳しく批判されるのですが、この「反面教師」の逆で過去を再構成すると天皇家そのものが日本人が考えた「中国型皇帝理想像」になってきて、これが後の「皇国史観」つながっていくですが、それへと誘導したものが水戸の『大日本史』になるのです。結局、「あるべき天皇像」から「日本の歴史の過ちを自ら正す」という形を貫いていくと徳川幕府の統治権の根拠が否定されて大政奉還に帰結してしまいますし、その帰結が予定されれば『靖献遺言』で「こりかたまった」男たちが、その方向へと命を捨てて動き出すことになってしまって当然になるのです。

 『靖献遺言』と『保建大記』が維新の志士の「聖書(バイブル)」になり「歴史の過ちの結果生じた幕府」を倒して正統なる「天皇の親政」を樹立するという「朱子学的革命」への明確な方向づけに収斂したのが、日本の歴史を中国の歴史的尺度で検証するという作業の帰結となってしまったのです。

 

 『現人神の創作者たち』という本は元となった文献の引用が多く非常に難解な書物です、従って私の理解も中途半端に終わっていて分かり易くお伝えすることが出来なかったかもしれません。しかし千五百年の長きにわたってお手本とし畏敬してきた大国が崩壊し、なおかつ天皇制の権威の正統制の淵源でもあった中国が「畜類の国」に成り下がり蛮国イギリスに敗れさった衝撃を、中国の価値観を援用して納得しようとした試みは現在のわが国にも通じるものがあります。

 

 コロナ禍後の世界はこれまでの延長線上ではなくまったく新しい価値観の創出を必要としています。その試練にわれわれは耐えることができるのでしょうか。

 

 

 

 

2022年2月7日月曜日

ニュースの裏側

  『メディアの未来(ジャック・アタリ著)』という本が評判になっていて私も読んだのですが、文字情報からSNSに到る長い歴史が教えるのは「情報は独占と捏造とフェイク」の歴史であったということです。ネット情報の怪しさが取り沙汰される昨今ですがこれまでも決して「不偏不党の真実」だけが報道されてきたわけではないのです。日本は比較的、特に近現代のメディアは欧米先進国ほど資本の独占に犯される傾向は少なかったのですがそれでも戦前戦中の「大本営発表」を垂れ流し戦意高揚に協力した報道のあり方は大いに反省すべき禍根になっています。近年はSNS全盛になって情報の速報性も広告量の豊富さも既存メディア(新聞・テレビ・ラジオ)はネットのプラットフォーム(GAFAなど)より劣ってきて、その結果記者などメディアに携わる人材に以前ほど優秀な学生が集まらなくなっているようです。そのせいもあってか報道に鋭さが無くなってきたと感じるのは私だけでしょうか。

 

 最近の例で言えばアメリカの大統領にオバマ大統領の副大統領だったバイデン氏が就任したとき、私のように戦後のアメリカ政治を現在進行形で見てきた世代は一抹の不安を感じたのですがそうした報道は皆無で、とにかくトランプが負けたことの歓迎、祝福の記事に満ちていました。戦後アメリカ大統領で副大統領から昇格した人は3人――トルーマン(ルージベルトの副大統領)、ニクソン(アイゼンハワーの)、リンドン・ジョンソン(ケネディの)、そしてバイデンです。ジョンソンは可もなく不可もなしですがトルーマンは原爆投下の責任者ですしニクソンはウォーターゲート事件を起こしています。資質として大統領と副大統領では根本的に異質なものが要求されるのではないでしょうか、それはわが国の総理大臣にもいえるわけで、そんな経験からバイデン氏に一抹の不安を抱いたのです。これまでの彼の実績を評価すれば失敗とされる判断が少なくなかったし、中ロの「のさばり」、中東の混乱、北朝鮮の挑発など外交的にも手腕に疑問符が付くと言わざるを得ません。

 マスメディアの盲点のひとつがこうした「歴史的」な物の見方の弱さです。

 

 もうひとつの弱点は政府が打ち出す「政策」を「斜に構えて」批判する能力――時にはそうした姿勢が本質を見抜くこともあるのですが、最近はどうも真面目過ぎる記者が多いように感じます。最近でいえば「ガソリン高騰抑制策」です。軒並みつづく値上げ傾向の中心的なものとして「ガソリンなどの燃料油価格高騰」の抑制が物価対策として重要と考えて打ち出された施策ですが、これはどう見ても「石油元売り業者(と小売業者)補助金(支援策)」以外のなにもでもありません。それは事業の目的にも「(この事業は)価格を引き下げる制度ではありません」とうたってあるのです。しかし報道の仕方もあって一般消費者はガソリンスタンドの値段が下がるものと理解しています。そういった意味でこれほど分かりにくく、政策の費用対効果の不明瞭な施策は今までになかったのではないでしょうか。そのあたりを厳しくついたマスコミの報道がほとんどなかったことは残念です。

 案の定1月27日に初発動した3円70銭(/1ℓ)の補助金はスタンドの価格抑制には効果が薄く1月31日時点で前週調査と比べて70銭高い170円90銭だったと経産省が発表しました。そこで10日には補助額の上限5円を適用することになるようです。

 

 この制度の正式な名称は「(令和3年度補正予算事業)コロナ下における燃料油価格激変緩和対策事業」といい予算総額800億円が組まれています。「原油価格高騰が、コロナ下からの経済回復の重みになる事態を防ぐための激変緩和措置として、燃料油の卸売価格の抑制のための手当を行うことで、小売価格の急騰を抑制することにより、消費者の負担を低減することを目的としています」。そのうえで「消費者に直接補助金を支給する制度ではありません。また、小売価格の高騰を避けるための制度であり、価格を引き下げる制度ではありません」という注意書きがつけてあります(経産省HPから)。

 制度のあらましは「緩和措置期間中(3月31日まで)、全国平均ガソリン価格が1リットル170円以上になった場合、1リットルあたり5円を上限として、燃料油(ガソリン・重油・灯油・経由)元売りに補助金を支給します」となっていて「支給開始後4週間は170円、翌4週間は171円、翌々4週間は172円、さらにつぎの4週間は173円」と支給発動価格を段階的に引き上げていく設計になっています。

 この概要をまとめると「燃料油価格の高騰がコロナ下の経済回復の障害にならないように170円を超える小売価格の高騰分を元売り業者に補助金を支給して卸売価格を抑制し、小売価格高騰を抑制することで消費者負担を軽減する」という制度設計になっているにもかかわらず「小売価格の高騰を避けるための制度であって価格を引き下げる制度ではありません」という但し書きをつけているのです。「小売価格の高騰を避けるための制度でありながら、価格を引き下げる制度ではありません」という但し書きはまったく意味不明ですし、価格を引き下げないで一体どうして高騰を避けることができるのでしょうか。「消費者に直接補助金を支給する制度ではありません」ということをどうしても理解してもらうために、意味不明の但し書きをつけたのでしょうが、こうした矛盾をあからさまに「言い訳」しなければならないのはこの制度に「後ろめたさ」があるからなのでしょう。

 

 石油元売り業者は最大の需要層である自動車産業が燃費効率の改良、ハイブリット化電気自動車化が進んでガソリン需要の減少は既定の事実であり、環境問題が化石燃料離れを加速して経営環境が悪化しておりそれにどう対処するかは喫緊の課題となっています。経産省としても打開策を早急に打ち出す状況に追い込まれている折から、物価対策に名を借りて業界支援を図ることができれば願ったり叶ったりです。今回の燃料油高騰対策事業は紛れもなく石油元売り業界支援策に外ならずガソリンスタンドの給油価格の低下という消費者向けの物価対策として効果があるかどうかは経産省にとって二の次三の次なのです。マスコミはどうして「物価対策」の側面ばかりを伝えるのでしょうか。 

 わが国のお役所の慣例として「予算は必ず年度内に費(つか)い尽くす」ことになっていますから800億円の予算は元売り29社に必ず支給されるでしょう。

 

 ネット上に氾濫する情報のリテラシーがうるさく言われる昨今ですがマスコミの報道も「裏読み」できる能力を身につけないと世の中の動きに取り残されてしまう――そんな難しい時代になってしまったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月31日月曜日

資本主義が変わった後に

  自国一国優先主義の終焉、制限のない競争による資源配分制度の改革、今ある仕事の半分近く無くなった社会に対応する仕組みをどうするか、この3つの課題を解決する「新しい資本主義」を創らないと21世紀は乗り越えられない、私はそう考えています。そんな資本主義に変わったとしたら……。

 

 資本主義は民主主義を両輪として発展してきました。そのどちらもイギリスとアメリカが手本となってきたと言えますがそのお手本のはずの両国の民主主義がおかしくなっています。アメリカではトランプ大統領の出現と国会議事堂への暴力的破壊行動、イギリスのブレグジットは異変の兆候でしょう。しかし私が注目するのはコロナ禍への対応です。世界の感染者数3億6千万人超のうち両国で8千6百万人25%を占めています。感染のメカニズムは多様で複雑ですから一概に決めつけることはできませんが世界的な蔓延に両国の爆発的な感染拡大が少なからぬ影響を与えたことは間違いないでしょうし国として、国民として責任を感じるべきです。武漢発のウィルスであるとして国際世論の中国への責任追及は厳しいものがありますがアメリカとイギリスへ批判の声が上がらないことには奇異の感を否めません。そしてまったく問題にされていませんが世界の総感染者とされている3億6千万人という数字は正しいのでしょうか。医療体制も統計を担当する機関も整っていない途上国や難民キャンプの感染者はどのようの処理されているのでしょう。「世界の感染者数」に含まれているのでしょうか。もし計数されていないとすれば3億6千万人は4億人にも4億5千万にもなっているはずです。そしてそうした国々にはワクチンや酸素は勿論のことECMOもICUもありませんから感染すればなすすべなく死亡しているにちがいありません。

 アメリカやイギリスなど民主主義の先進国でワクチン接種や移動、外出の自粛、マスク着用や3密を避ける対策が厳密に行われないのはなぜでしょうか。アメリカやフランスでワクチン接種が義務化されようとしても反対勢力が何万人というデモを起こして結局義務化ができないでいるのは何故でしょう。民主主義の根幹である「自由」と「人権」が関係しているのは明らかです。自分たちの国の「自由のあり方」に疑問を感じ、それが原因で「富の偏在」をもたらしたと考える人たち――特に若い人たちが「ウォール街占拠デモ」を起こしたのはもう10年も前のことです。そして彼らの理論的な支柱となっている、民主党の大統領候補にも名乗りを挙げたバーニー・サンダースは民主社会主義者を公言し今のアメリカの民主主義のあり方に公然と疑問を突きつけているのです。

 欧米の民主主義を奉じている先進国にはそれぞれそこに到る歴史的過程がありますから一概に断じることはできないのですが、しかしそれだけにトクヴィルの「自由は道徳なしには保持しえず、道徳は宗教なしには根拠を失うことになる」という言葉に耳を傾けるべきではないでしょうか。

 

 民主主義に対する疑問の表れとして近年の「民主主義勢力の後退」という事実があります。冷戦終結後一挙に民主化した世界の情勢は2000年ころから停滞、10年代半ばからは非民主化が加速し2020年にはどちらかと言えば民主的な国を含めた「民主勢力92ヶ国」に対して「非民主制の国87ヶ国」にまで接近してきています。

 一体今の世界はほんとうに「民主的な運営」が行なわれているのでしょうか。たとえば「国連」には「拒否権」をもつ5ヶ国(米国、英国、フランス、ロシア、中国)が存在しています。これらの国は第二次世界大戦の主たる戦勝国です。戦後復興を速やかに遂行していく上に――利害関係の調整を効率的に行うための「緊急避難的」措置であったはずの「特権」が「既得権」として今だに存続している事実は決して「民主的」ではありません。「核兵器禁止条約」は2020年10月に発効しましたが今現在締結国は59ヶ国に過ぎません。事実上「核保有」という特権は上記国連拒否権を持つ5ヶ国とゴリ押しで保有を進めたインド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルなど12ヶ国が独占しているのです。そして富裕国と貧困国の格差は拡がる一方で「経済的平等」は無視されつづけています。

 

 カントは「世界平和は新たに創出すべきものである」と言いました。未成熟な人間社会では戦争こそが自然な状態であるから絶えず平和に向かって「進行形」であらねばならないと戒めたのです。同様に「民主主義」も「専制主義の誘惑」に対して絶えず戦いつづけなければならないはずなのに戦後80年安住し、停滞しつづけてきたのですから『民主主義の劣化』が起こって当然なのです。民主主義の先進国は今こそ『謙虚』に民主主義の「進化」に向き合わねばなりません。コロナはそう諭しています。

 

 ところでカントは何故戦争状態を人類の自然な状態と考えたのでしょう。彼は18世紀の人ですから世界経済は農業全盛の時代でした。農業にとって土地(領土)と労働力(人口)は主たるの生産資本ですから戦争による領土拡大はそのまま経済成長を促し国家を富かにしました。日本が第二次世界大戦に突入せざるを得ないと考えたのは「資源を持たない国」にとって資源調達を容易にするため他国の資源を独占する「領土拡張」は当然だったのです、ABCD(米、英、中、蘭)包囲網で経済封鎖をうけていましたから。

 しかし今や先進諸国は農業立国の段階を脱却していますしコロナを契機として「制限のない競争」による「資源配分制度」が改められ資源配分を「国際的な協調システム」に改革することができたなら、戦争を行なう理由はどこにあるのでしょうか。中国の「一帯一路」もロシアのウクライナ侵攻も結局「資源の安定確保」が目的なのだとすれば。

 しかしことはそんなに単純ではないかもしれません。「権力」は「自己増殖」を本質としていますから。

 

 これまでの歴史で人類は数多くのパンデミックを経験してきました。そしてその都度改革をくり返してきたのです。今度のコロナ禍も少しでも世界が良くなる方向に変わる契機になれば絶大な代償を支払った価値があることになるのですが……。

 果たして今の人類にそれだけの『叡知』がそなわっているでしょうか。

 

 

 

 

2022年1月24日月曜日

新しい資本主義(続)

  「新しい資本主義」が取り組まなければならない三つ目の課題は「仕事が無くなる」という問題です。ちょっと前、ワークシェアーとかベーシックインカムが話題になりました。一過性だったのか尻すぼみになっていますが現実はその必要性が徐々に高まっているのです。

 

 2015年12月、野村総研と英国オックスフォード大学の共同研究が発表され、10~20年後にはわが国労働人口の約49%の就いている職業がロボットやAIに取って替わられる可能性が高いという推計結果が報告されました。アメリカの会計士が過去10年間に数万人規模で減少していることが例証として挙げられ機械に仕事を奪われる仕事ランキングも予想されていてそれによると1位が小売店販売員、2位が会計士3位一般事務員以下セールスマン、一般秘書などがつづいています。わが国では2017年に3メガバンクが3.2万人の業務削減を目ざす構造改革を表明し支店の閉鎖や窓口業務整理など目に見える形で進行しています。しかしみずほ銀行はAI人員を過剰に削減して大きな業務支障を発生させ信用棄損を招いていますから道のりは厳しいようです。

 今回のコロナ禍によって「リモートワーク」が有無を言わさず強制されたためにロボットやAIによる「仕事の置き替わり」が加速されそうな状況になっています。「対面」でするのが当然とされてきた多くの仕事が、対面が強制終了されてしまうことになれば「AI化」「ロボット化」が重要な解決策につながるからです。ホテルのフロント業務やコンセルジュ業務はロボット化が進行しています。アメリカの会計士の仕事がAI化で急減したように「士(さむらい)仕事」――弁護士、計理士、会計士、弁理士、社労士など――のうちの多くの部分はAI化が可能ですから対人交渉(法廷業務など)を担当する上級業務以外の「士」仕事はAIに取って替わられる可能性が極めて高いでしょう。お役所の「定型業務」の多くもAI化が適していますから「受付業務}の一部を残してほとんどの業務はAI化され、判断・調整業務を担当する上級公務員が残る以外は不必要になる日も近いかもしれません。

 2035年(2015年から数えて20年)はあと10年少しで『現実』になります。半分は極端すぎるとしてもそれに近い仕事が「人の仕事」から消えることを前提に「資本主義」を変える覚悟が必要です。

 

 人類の歴史は「飢餓からの解放」の歴史でした。人類の進歩は『飢餓の克服』を『豊かさの実現』で可能にしてきました。それでもまだ「貧困ライン―1日1.90ドル」以下で過ごす貧困層が2019年時点で総人口の10%近い約7億5千万人存在していますがコロナ禍で2021年には1億人近い増加が見込まれています。 

 これまでの人類は貧困からの脱出(生活維持)を「仕事をする」ことで実現してきました。「賃金(労働)」「所得(金融)」「利益(企業)」を仕事を通じて得ることでそれを可能にしたのです。その賃金・所得・利益に課税した「税収」を基に「国家」は存立しています。『仕事』――「個人の生命」や「国家の存立」を支えている仕事が無くなってしまうとこのシステムは成り立たなくなるのは自明の理です。

 2021年わが国の失業者数は182万人、生活保護を受けている人の数は205万人弱になっています。労働人口は約7千万人ですから「再分配政策」でセーフティネットの維持が可能な範囲に収まっていますが失業者が1千万人規模になればとても今のシステムでは対応できなくなってしまうでしょう。

 ここ20年近く問題になっている「非正規雇用者」は今や総労働の4割弱に達していますがこれは見方を変えると一種の『ワークシェアー』です。仕事の流れを業務分析し細分化して代替可能な部分をワークシェアーしたのが非正規雇用者ですが、1999年末には1200万人台(25%以下)だったものが2020年には2100万人弱4割近くにまで増加したのです。わが国は国際的に低失業率を誇っていて2020年の2.8%はアメリカの4.2%ドイツ、韓国の3.1~3.3%に比べても低いですしヨーロッパ先進諸国は軒並み8%を超えていますから相当優秀なことになります。しかしこれがワークシェアーによる非正規雇用の増加によって演出されているとしたら見方が一変します。

 わが国はすでに仕事が減少しておりそれを「ワークシェアー」でしのいでいるのではないでしょうか。今後この傾向が加速度的に上昇し、失業者の増加とそれ以上の非正規雇用が増加して国民の平均所得が低下、低所得層の割合が飛躍的に増加するかもしれません。なみに生活保護受給の所得基準は月収13万円以下年収では156万円以下ですが、所得階層別分布では200万円以下が約2割、300万円以下は33.4%を占めています。今後下位層へのシフトが増加して200万円以下が5割りを超えるようなことになれば社会保障システムの持続可能性が破壊されてしまいます。しかし決して可能性のないことではないのです。

 

 人類は長い間、「仕事」を通じて収入(給料、所得、利益)を獲得し生活を維持、収入への課税によって国家を存立させてきましたが、仕事が減少することによってこのシステムを維持することが困難になる可能性が非常に高くなっているのです。野村総研とオックスフォード大学の共同研究がそうした事態の2035年ころに現実化することを示唆しています。少なくなった仕事を非正規雇用という形でワークシェアーしてきたのが21世紀のわが国ですが、コロナ禍が仕事のロボット化、AI化を加速させることで一挙に「人の仕事減少時代」に突入してしまうかもしれません。生活保護ではなしに「ベーシックインカム」を基本としなければならなくなるかもしれません。しかしそうなると「原資」の調達をどうするのでしょうか。

 古代ギリシャでは「奴隷制民主政」で市民の生活が保障されていましたが21世紀の資本主義的民主政は「ロボットとAI」が奴隷に取って替わってくれるのでしょうか。

 

 仕事減少時代の社会の仕組みを考えるとき、経済封鎖を解かれた後のキューバの町のおばさんが「生活は苦しかったけど学校と病院がタダだった昔の方が良かったね」と言っていたのが印象的に思いだされました。

 

 自国一国優先主義の終焉制限のない競争による資源配分制度の改革仕事をして得る収入(賃金・所得・利益)て生活を維持するシステムからの脱却。「新しい資本主義」は最低この3つの課題を解決しなければならない、私はそう考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月17日月曜日

新しい資本主義

  岸田さんが自民党の総裁になって「新しい資本主義」を表明したとき大いに期待したのですが見事に裏切られました。せめて「新自由主義からの脱却」だけでも打ち出せたら分断と格差のグローバル経済を改革する第一歩を踏み出せたのですがそれも元総理や副総理への忖度によってもろくも尻すぼみしてしまいました。

 

 コロナ禍で分かったことはグローバル化した現在では一国の経済を世界から切り離して運営し成長を達成することが不可能になっているということです。先進国がワクチンを独占して2回接種、3回接種を行ったところで貧しい発展途上国の蔓延を放置したままでは終息は実現しません。いい例がイスラエルで、世界最先端のワクチン接種を行っているにもかかわらずブレイクスルー感染をくり返しています。それは多分国境を接しているシリア、ヨルダン、エジプトなどから感染が浸み込んでくるからでしょう。ワクチンが『有限な資源』である限り世界全体で「分配の適正化」を図らなければ結局自国の終息も、世界の終息も達成できないのです。ファイザーやモデルナが「特許権」を「解放」すれば生産量の拡大と価格の低廉化が実現できますから終息を早めることができるのですが、今のままなら世界的な終息はあと3、4年先になるにちがいありません。コロナが終息しなければ経済の復興・再生もありませんから、結局ワクチン接種を自国だけが先走って途上国を置き去りにしておく限り富裕な先進国経済の復興はありえないのです。

 こうした現象はすでに起こっていました。それは「難民」の問題です。アメリカはメキシコなどの南米諸国から、ヨーロッパはアフリカや中近東諸国からの難民で自国経済が毀損されています。難民の低賃金が自国民の仕事を奪い失業に追い込む、こんな事体がアメリカでもヨーロッパでも起こって不満と不安が増幅し、格差がますます拡大して分断が危険水域に達しています。わが国も対岸の火事ではありません。わが国で就労している外国人労働者は2020年10月時点で172.4万人に達しています。わが国の労働力人口は6868万人(2020年)ですから総労働力の3%近くが外国人で賄われており安閑としておられません。中国、ベトナム、フィリピン、ブラジルなど途上国からの労働力は今後増加の一途をたどることでしょう。

 これまで一国の経済運営は国家の「存続」を第一目標として自国の成長と国民の豊かさの達成が図られてきました。生産力を拡大することで企業が活性化し雇用の増大と賃金アップを実現することによって国民が豊かになるように経済が運用されてきたのです。しかもこれまでは「先進国クラブ」が世界の富を独占して7ヶ国かせいぜい20ヶ国が繫栄すればそれで良しとされてきました(南北問題は半世紀以上の長きに亘って論議されてきましたがそれは建て前のことです)。繁栄から取り残された途上国の存在は表だって取り沙汰されることはありませんでした。ところが新型コロナの世界的な感染は途上国を無視しつづけることを許さなくなったのです。先進国の「健康と安全」を実現するためには『途上国を巻き込んだ世界』全体でワクチンを接種しコロナを終息させることが「必須条件」になったのです。先進国クラブの「わがまま」が通用しなくなったのです。

 地球上を占有し尽くした200近い「国民国家」が等しくその「存続権」を認め合うような世界にならざるを得ない状況にコロナ禍が追い込んだのです。自国一国優先主義の終焉をコロナが宣告したのです。

 

 何故富める国とそうでない国が生まれたかといえば、『競争』という美名のもとに「有限な資源」を強い国の『独占』に放置してきたからです。そもそも弱い国は「競争の場」にさえ『参加』できないでいました。戦前は「植民地」として先進「宗主国」の『収奪』のほしいままにされました。戦後は「国民国家」として独立したのですが、それは民族、宗教、領土を無視した先進国の「恣意な線引き」による理不尽なものでした。そして国家体制が未成熟なまま「地球上の有限な資源やエネルギー」をめぐる国家間の『争奪ゲーム』に放り出されたのです。勝負ははじめからついていました。歴史上まれな80年近い戦争のない時代がつづいたこともあって、豊かな国の野放図な資産蓄積が累積し国家間の格差が異常に拡大してしまいました(勿論国内の格差も拡大しましたが)。そうした国家間の格差をあらわにしたのが「ワクチンの不公平な配分」だったのです。

 このまま『制限のない競争』に「有限な資源」の「配分」をまかせておくと世界は取り返しのつかない「惨禍」に見舞われることになります。世界人口は今(2020年)約78億人ですがこれが2050年には98億人にまで増加するのは既定の事実です。今でさえ富と資源の偏在が世界平和実現の「足枷」になっているのですからこの状態を放置すれば米中の新冷戦と呼ばれる「世界の摩擦」状態が更に悪化するのは明らかです。中国が「一帯一路」政策と国際法を無視した「海洋進出」を図っていますが、これは資源の「平和的」と「暴力的」の二面からの獲得政策なのです。14億を超える国民に「豊かさ」を与えるためには無尽蔵の「資源とエネルギー」が必要になります。2021年の中国の豊かさ(1人当GDP)は約1万ドルですがこれを習体制が計画(第13回全人代「2035年までの長期目標」2021.3.5)しているように先進国の中レベル(3~4万ドル)に引き上げるためには今後15年間にわたって4.73%の成長を続けなければなりません。このための資源を獲得するために賢明な中国共産党が数十年の周到な計画のもとに進めてきた二面作戦がコロナで不可能になったのです。世界が「有限な資源をめぐる国家間のサバイバルゲーム」をこのまま放置しておいてはいけないことに気づいたからです。国家は今や、自らを守るために自らの領分を部分的に放棄せねばならない、地球規模の問題解決のためにグローバルな「主権」を求める必要性に気づいたのです。

 それはまだ一部の人たちの間だけかもしれません。しかし「地球温暖化問題」にしても「核兵器不拡散」「核兵器禁止」問題にしても、まったなしの緊迫度を増してきています。

 「有限な資源の配分を制限のない競争に任すシステム」に変わって「自らの領分を部分的に放棄する」「地球規模の問題解決のためにグローバルな『主権』」を認めるシステムに改変する必要性に迫られているのです。                                          (つづく)

(この稿は福嶋亮大著『ハロー、ユーラシア』を一部参考にしています